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ワインコラム 第70回 ブルゴーニュ地方 畑の話 ロマネ・コンティ編

フランス、ブルゴーニュ地方のぶどう畑は細かく細分化されていて、それぞれの畑に名前があり、格付けされています。

隣り合った畑でも、格付けが異なるなどの理由で、ワインの値段が数倍違ってしまうというのも良く知られたお話ですね。

そんなブルゴーニュの畑についてご紹介いたします。

今回は、恐らく世界一高価な赤ワインが生まれるロマネ・コンティRomanée-Contiのお話です。

まずは場所を確認しましょう。ブルゴーニュ地方の中心都市、ディジョンDijonから車で南下していくと、市街地を抜け、ぶどう畑の中を走るような格好になります。ジュヴレイ・シャンベルタンGevrey-Chambertin村を超えて、ヴージョVougeot村を超えるとヴォーヌ・ロマネVosne-Romanée村に至ります。ロマネ・コンティは、この村にあります。

ロマネ・コンティとは畑の名前であり、その畑のぶどうから造られたワインの名前でもありますが、もうひとつ、ロマネ・コンティという名のつくものがあります。それは、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティDomaine de la Romanée-Conti (以下D.R.C.)というワインの造り手の名前です。ロマネ・コンティという畑はD.R.C.が単独所有しております。そのために、D.R.C.という造り手は、「ロマネ・コンティのドメーヌ」という名前を名乗っているわけです。

さて、そのロマネ・コンティですが、その歴史をローマ時代にまで遡ることができます。「ローマ」にちなんで「ロマネ」という名が付けられたようです。

ブルゴーニュの銘醸畑は、修道院と密接な関係にありますが、ロマネ・コンティも然り。10世紀の初頭から、サン・ヴィヴィアン修道院の管理が続きました。その後、ルイ15世の統治時代、名声あるロマネ・コンティの所有をめぐってポンパドール夫人とコンティ公爵の間で争奪戦が起こりました。最終的に1760年代にコンティ公爵が勝利し、以降、「ロマネ」と呼ばれていた畑は「ロマネ・コンティ」と呼ばれるようになります。コンティ公爵はその後もワインの評判を落とさず、むしろ、収穫量を減らし、品質を高めることによってますますロマネ・コンティの価値を高めていきました。その意志は今日でもD.R.C.に引き継がれています。

「飲み物であるワイン」としては、ロマネ・コンティには非現実的な価格がつけられています。それを巡り、ワインのプロフェッショナルの間でもその価格と質のバランスに関して論議されることがあります。

ここから先は私の私論ですが、ロマネ・コンティの価格は、純粋にワインの品質を表した価格ではないと思います。ロマネ・コンティは確かに素晴らしいワインです。それは間違いありません。しかし、3万円のワインに比べてその20倍も優れた味わいかと言うと、そんなことは無いと思います。

あの価格は、需要と供給のバランスから来ているものです。平均年産量が6,000本と少ないにもかかわらず、世界中から需要があります。そのためにあの価格が付けられているのです。実際、あの価格で売れてしまうのです。歴史のある、上質なロマネ・コンティを口にするための代価として。もしくは、勢力の誇示として...

その歴史と名声は、今後も続いていくことでしょう。

Romanee-Conti

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